救えない

写真撮ることは言ってしまえば趣味みたいなもの。

 

最近、職場で自分のカメラで写真を撮り、それをムービーメーカーを使ってムービーにし、発表資料作りをしている。

 

今日、それを職場の人に見せたのだけど、上司から

 

「あなたの趣味も役にたつことがあるじゃない」みたいな風に言われた。

 

この表現は間違っていると思う、そして少し怒りを覚える。

 

もちろん、普段から信頼に足る仕事をしているとは言い難い。

 

しかしながら、独学ながら写真を学び、働いたお金でいい写真を撮るための機材を買い、スクールに通った、休みを利用して色々なところに撮影へ行き、沢山の人と写真の話をしてきた。

 

いい写真が撮れるに決まっているじゃないか。

 

プロからみたら下手くそかもしれないけれど、一般の人よりはそれだけの時間を割いて、学び、物や自分に投資してきたのだから。

 

今回の資料作りで欲しかったのは、お金でも評価でもない。

 

ましてや費やした時間でも、シニカルな言葉でもない。

 

「いい写真だね」や「頑張ったね」

 

その一言でもいい。逆に、写真の批評をしてもらってもいいくらいだ。

 

 

写真は時に人の心を動かすが、おおよそ興味のない人には生産性のないことだろうと思う。

 

少し違和感を覚えたのは自分が2年かけて学んだ技術を役に立つか立たないかシニカルに評価されたということだろうと思う。

 

どうということはない、どこにでも好戦的な人はいる。

 

なんとなく、表現というのは星を掴もうとするような抽象的な行為で。

 

役に立つか立たないか、そういう話になる人のもとでは

 

自分はここにいる時間はもう長くはないだろう、そう思うのだった。

2012、夏 名古屋にて
2012、夏 名古屋にて